プロフィール
〜 支えてくれる存在〜 国立能楽堂で研修を始めたときからはや十数年がたち、研修修了後少しずつ舞台経験を重ねながら勉強しつづけています。 連載形式で書き続けてきた「能楽研修生だったころ」。 後輩の研修生も九期・十期・十一期と続き、いずれ十二期生…
〜27 修了公演〜 2014年の3月18日。「第3回青翔会・第八期能楽(三役)修了発表会」が、私たち八期の能楽研修生の修了公演でした。 修了公演ということで、家族や友人、銀行員時代の知人にも案内を出したり知らせたり。平日の公演なので、お勤めをしている…
〜26 最後の1年〜 研修6年目の最後の年。研修生男子控室は静まり返り、一人で稽古の準備や片付けをする日々。この年、ご縁があってカルチャースクールでの小鼓教室の指導をさせていただくことになりました。 稽古は月に数回、電車で30分ほどのカルチャ…
〜それぞれの選択〜 研修5年目が終わらんとする頃、ワキ方・狂言方の同期研修生はどうやら早期修了ということで6年目に研修稽古を受けるのは私一人であることが確定的になりました(寂しい!)。 修了公演を六年目の終わりに行うのは変わらず、もともと個…
〜24 5年目の始まり〜 東日本大震災の影響を受けた4年目は、節電のために夏の東西合同研究発表会の場所が東京から大阪に変更されたり、知り合いにも震災に関連した不幸があったものの、6月・10月の研鑽会で鼓を打たせてもらい、初能から1年後の2012…
〜23 三十路を控えて〜 能楽の研修生は、時期はまちまちのようですが基礎研修修了後に能楽協会に入会することになっています。四年目に入り、私たち八期の研修生は揃って能楽協会へ新規会員となりました。 能楽協会員になるためには、能楽協会所属の先生二…
〜いちばんキツイ年・4年目〜 「基礎研修」と呼ばれる3年が終わると「専門研修」として主に自分の流儀の稽古や舞台実習を中心に3年を過ごします。楽屋に出入りして先生のお手伝いを始めるのも、多くは4年目になってからが多いそうです。 最初の3年との…
〜21 竹林の中で〜 早朝の竹林は、ところどころに差し込む朝日に地面に積もった竹の葉が淡黄色に照らされて、遠くでなくうぐいすの声が聞こえ、竹やぶを飛んでいく雀の姿が見えます。 地面に空いた穴と散らばった竹皮は、夜のうちにイノシシがタケノコを掘…
〜20 「追加」と初能〜 緊急時に芸術ができることはなにか?そもそも芸術の存在意義とは? 地震の後も、そして去年からのコロナ禍でも考え続けていることです。 「生きるのに精一杯の人たちがいるのに、芸術活動を行う事自体が浮かれている」と非難される…
〜19 東日本大震災〜 3月11日の金曜日。その日私は午後稽古があるので、終わりしだい渋谷の観世能楽堂に来るように先生から言われていました。15時頃から能の会があるので、先生の役が終わったら楽屋で着物をたたんだり、道具の片付けを手伝うためです…
〜18 基礎研修修了を控えて・3年目〜 研修3年目に入ると、楽屋働きも少し慣れ、アルバイトを定期的にしつつ、兄弟とのルームシェア生活も程度安定…といった調子で、ようやくリズムができてきました。 このころから、というか兄弟3人で暮らすようになっ…
〜17 養成課の人々〜 国立能楽堂の研修生の日々のお稽古や6年間のスケジュール、指導の先生方との連絡などは企画・養成課(普段は「養成課」と私たちは言っていますが)に配属された、独立行政法人日本芸術文化振興会の職員さんたちが務められています。 …
〜16 おん祭・続き〜 前回、研修3年目の11月に奈良県春日大社の「春日若宮おん祭り」に行き、深夜に始まった御神事から、舞楽の奉納を観たところまでお話しましたが、その後深夜2時過ぎに宿舎に帰ってきた私たちは睡眠をとり、次の日正午から始まる、…
〜15 研修旅行・春日若宮おん祭〜 「Kちゃんといっしょにフィンランドに旅行してきたの」 そういって学生時代の友人から、ムーミンの枕カバーをおみやげに貰ったのは研修生としてまだまだ能楽の世界には慣れず、いろんなことが初心者で、すっかり小学生気…
〜14 研修生は痩せる?〜 数年前、後輩の研修生が「楽屋の食堂でお昼を食べるといつもご飯が大盛りで、ある日”そんなに食べられません”と言ったら食堂の人に”アレ?いつも大盛りだったよね?”と言われました…多分人違いだと思います」と私に言ったことがあ…
〜社中会の着物〜 研修生2年目から流儀の先生の舞台のお手伝いで能楽堂に出入りをするようになると、大変なことばかりでなく楽しいこともありました。 社中会での働き(=楽屋で先生の手伝い)では囃子方や地謡はプロ、主役として舞ったり謡ったりするのが…
〜研修2年目が始まって〜 3月の能楽研鑽会で無事それぞれの初舞台を終えた私たちは、春休みをはさんで2年目の研修を開始しました。 1年目との違いを思い出そうとすると難しいのですが、楽屋働きが去年よりも増えたり、お稽古の内容が1年目は独鼓が多かっ…
〜研修同期・先輩たち〜 国立能楽堂の研修制度が始まったのは1984年だそうで、ちょうど私たち八期生が研修中に25周年を迎えました。 20数年前の最初の頃に研修生であった先輩能楽師の方々は、すでに私たちの親に近いくらいの年齢、今の研修生からみたら私た…
〜道具(楽器)について〜 選考試験で自分の流儀が決まる前から、囃子方の場合はいずれは自分の楽器が必要であることを聞かされていました。 能楽師はそれぞれの役の専門職であり、プロで活動とするならば道具や着物も基本的には自前で用意です。研修生の場…
〜初舞台〜 舞囃子は、能の一曲の一部分をおシテが装束なしで舞うので「能のデッサン」とも言われますし、「能のエッセンス」を味わうものと考えても良いかもしれません。 地味といえば地味、好きな方はとても好きだそうです。初めて能楽に触れる時は、装束…
〜適性試験終了から初舞台まで〜 私達の研修よりもずっと以前、2〜3期前の先輩方の時には希望の楽器や役に複数人が集中するということは多かったそうです。例えば、笛をやりたい研修生が大勢いて、適性試験で希望の役に選ばれなかったら研修自体を辞めた人…
〜適性試験・初舞台に向けての稽古〜 研修所では囃子方のお稽古として、例えば小鼓の場合は持ち方や打ち方を習ってから初心者向けの独鼓をならい、大鼓も同様に、狂言は狂言謡や狂言小舞、ワキ方はワキ謡と拍子謡について、それに加えて基本となるシテ謡(八…
〜楽屋働き、荷物持ち〜 さて、兄弟とルームシェアしながら、国立能楽堂で稽古を始めた研修生1年目ですが、私の場合それに加えて「先生の荷物持ち」という仕事が割と早くから発生していました。 文字通り、朝早くに先生の家の近くに行って(なぜか家の付近…
〜支給品・奨励金貸与について〜 能楽研修生として国立能楽堂に通い始めた後の流れとしては以下のようになります。まず半年間稽古して適正試験で自分の流儀が決定し、そこからまずは2年半が基礎研修。 その後3年が専門研修といった感じで稽古会を見学し、…
しばらく放置していたテーマ。再開します。 〜アルバイトと住まいのこと〜 研修生の期間は、能楽の場合は6年。バレエやオペラ、文楽等など、ほかの研修所 の期間と比べても突出して長いです。能楽師の修行には10年は必要と言われているので、研修制度を開…
~適正試験まで~ さて研修生として国立能楽堂に通い始めましたが、 実は選考試験の半年後に「適正試験」というものがあり、 ここで正式にどの流儀・どの役に進むのかが決まります。 研修生は最初の半年間の稽古で 「やっぱり立ち方(狂言・ワキ)になりたい…
~研修スタート、その内容~ さて、選考試験で囃子方の先生からお話を伺った後ですが いろいろな人に相談したりして、銀行を退職し4月から能楽研修生活が始まりました。 銀行員時代は静岡県内で寮から支店に通っていたので 3月末に退職→寮から引っ越し→東京に…
~選考試験~ 私が受験した時、研修所の受験者は男女で同じぐらいの人数でした。 数は全体的にかなり少なかったそうです。 女性受験者は 大学卒業を控えた人から、ピアニストの人、 宝塚の予備校も考えているという高校生など様々な顔ぶれでした。 男性受験…
Yahooブログが12月で終了するとのこと。 移行先を考えなければ‥と思いつつ 先日からブログの意義を再考しておりました。 もともとは自身の稽古場案内と能楽関連の情報の発信。 能楽師は当たり前のことでも 一般にはあまり知られていないあれやこれや。 そん…
最近、こんな質問を受けます。 「観世流の小鼓って謡の観世流と同じですか?」 あるいは 「観世流ということはシテ(主人公等演じる役)が観世流の舞台にだけ出るの?」 確かに、分かりにくいと思います。 というわけで ~説明しよう!~ 「小鼓方観世流につ…