〜適性試験・初舞台に向けての稽古〜
研修所では囃子方のお稽古として、例えば小鼓の場合は持ち方や打ち方を習ってから初心者向けの独鼓をならい、大鼓も同様に、狂言は狂言謡や狂言小舞、ワキ方はワキ謡と拍子謡について、それに加えて基本となるシテ謡(八期は観世流。それぞれの期によって謡の流儀は違ったようです)を初心謡本から順番に稽古していきます。
ある程度進んだところで私たちは、夏頃から適性試験での課題を稽古しました。9月末能楽堂の二階研修舞台でに行われる適性試験では、各自の希望の役の課題に加えて、シテ謡と他の役の課題も一通りやります。
例えば八期の場合、小鼓の課題は独鼓「敦盛クセ」、狂言は小舞「七つ子」、ワキは「経正」のワキの謡でした。
短い夏季休暇のあとでそれぞれの希望を書いて提出します。一応第3希望まで書く欄がありましたが、後で聞いたところ第1志望しか書かなかった人のほうが多かったみたい。
この時点で、研修八期に囃子方の希望が私しかいないということで、いろいろな意見があったようでした。
当初は2〜3人は男子の囃子方の研修生をとって、女子も1人くらいは入れようか、どうしようかという流れで考えていたそうです。
八期の研修は最初の選考試験こそ人数はいたものの(それでも前の期に比べて少なかったようです)4月の開始直前に辞めた人たちもおり、そもそもが少人数でした。
その上、私以外の同期の研修生は全員立方(ワキ方か狂言方)が希望だということが適性試験前にわかったのです。
「女子しか、こないんじゃあな〜」という空気が囃子方の先生に流れ、実際自分の耳でも聞いたので、先生方ががっかりしていたのは事実だと思います。
私と言えば「そんなこと言われても…」という気持ちでした。せっかく始めた研修生を辞める気はさらさらないものの、どこまでも歓迎されてない自分を感じることこの上ない。
これって、男に生まれていたらなかった気持ち?でもそんな単純な話ではないと思います。
伝統芸能の継承者が年々減少しているのは数十年前からの問題であり、そのために国費をつかって養成しようと国立能楽堂でも研修所が作られたのです。
八期の研修生のほとんどが囃子方を選ばなかっただけでなく、近年では能楽師の家に生まれても後を継がない人もいます。
とにかく、能楽師の家の生まれでもなければ、すでに20代半ばで、とりたてて優秀でもない自分としては、やる気を全面に出して頑張るしかない。
バイトのついでに食べ過ぎた菓子パンのせいで一気に増えた体重は、9月の試験に向けた稽古で徐々に絞られていきました。
こうして迎えた2009年9月末、適性試験が行われました。