〜17 養成課の人々〜
国立能楽堂の研修生の日々のお稽古や6年間のスケジュール、指導の先生方との連絡などは企画・養成課(普段は「養成課」と私たちは言っていますが)に配属された、独立行政法人日本芸術文化振興会の職員さんたちが務められています。
この芸術文化振興会、東京では国立能楽堂以外に国立劇場・新国立劇場などもあり、大阪は文楽劇場、沖縄では組踊の研修生を養成する国立劇場おきなわも同じ独法のグループになります。と、いうわけで職員さんたちはある時はバレエ・オペラの劇場公演や発表会に携わり、またある時は歌舞伎、異動があれば大阪で文楽劇場でお仕事…と書き連ねるだけでもバリエーションに富んだ芸術の企画や後継者の養成に関わるそうです。
思えば、最初の研修所試験から6年間の稽古や健康状態にいたるまで、養成課の人々にお世話になったことは数しれず、しばしば弱っていたメンタルもかなり支えてもらいました。
ほかの芸術では歌舞伎の研修生は若年層が多く、バレエ・オペラは基本的に経験者が入ってきて、沖縄の組踊は小さい頃から組踊に触れていた地元沖縄の若者が多いそうです。
その中で
・際立って研修期間が長く
・音大で習っていた、などという前提がなく、初めて本格的にその芸術に触れるという人も多く(親が能楽師だった人は「研究生」という形で稽古をします)
・イメージできるかぎりではものすごく敷居が高く
・多分一般の人では一度も観たことがない人が多そうな芸能の
……「能楽研修生」
きっと、能楽堂の養成課でお仕事をされていた皆さんは大変だったと思います(特に8期の時?)。
歴代の研修出身者の話を聞くと、養成課の職員さんたちとの関わりが薄い人ももちろんいますし、あえて距離をとっていたという人も。
因みに私たち8期は研修終了後も若手能の公演に来ていただいたり、研修中はもちろん修了後もお話させていただく機会が多くありました。
今はあのころの職員さんたちは皆異動でいらっしゃいませんが(他の課に戻って来れれたかたもいるのかな)、研修生時代を思い出すと様々なエピソードとともにそれぞれの顔が浮かんできます。
研修試験のあとで「応援してるからね!頑張ってね!」と声をかけてくれたFさん。
大先生(故・観世豊純先生)が「あの子は18歳くらいかねえ」と、異動してきた瞬間に10代と思われたTさん。
しっかりもので研修生の世話をいろいろと焼いてくれたイタリア愛あふれる係長や明るい声のおしゃべりに癒やされたFさん。
物静かに見えて、話しかけるとその引き出しの多さに驚いたIさん。
養成課をやめた後も能の公演のお手伝いにきてくれたHさん
…皆さんお元気でお過ごしでしょうか。