小鼓草子2020

小鼓方観世流能楽師岡本はる奈のブログです。舞台・ワークショップ・稽古場案内と日々の出来事など。横浜、相模大野、東京杉並区にて小鼓指導しております。フランス語版ブログhttps://notesdunkotsuzumi.blogspot.com/

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能楽研修生だったころ ㉒

 〜いちばんキツイ年・4年目〜

 

 「基礎研修」と呼ばれる3年が終わると「専門研修」として主に自分の流儀の稽古や舞台実習を中心に3年を過ごします。楽屋に出入りして先生のお手伝いを始めるのも、多くは4年目になってからが多いそうです。

 最初の3年との違いはお稽古内容だけではなく、人によって稽古を受けなくなる科目が違ったり逆に新たに稽古する科目があったり、あとは稽古場以外での時間が増えることでしょうか。

 狂言の研修生だった同期生は、それまで受けていた能の謡や囃子の稽古は出ない代わりに狂言のお稽古時間が増え、自分の先生について舞台に出たり、移動のために車を運転していました。シテ・ワキ・狂言の立ち方は舞台ごとに装束の運搬もあるので車での移動も多いです。

 ワキ方の同期生は、装束の着付けにせっせと励み、先生についてワキツレとして出演することが増えていた気がします。

 囃子方の私といえば楽屋働きが既に二年半前から始まっており、最初の三年とそこまで違いは感じなかったものの、研鑽会で能を打たせていただくことが増えました。その時は囃子方研修生が1人だったので、国立能楽堂の稽古会などで優先的に役をつけてもらっていて、それに乗っかるという……なんとも受動的な舞台でした。また、観世流の謡に加えて宝生流の謡も習い始めたのは4年目くらいからだったと思います。

 さて、4年目が始まりしばらくして養成課の職員さんたちに研修生は皆一様に体調を心配されるように……ある者は痩せ、ある者は腰痛に悩み、あるものはなんだか全体的に身体が薄くなり……一番ストレスがかかるのが4年目かもしれません。

 まず、がむしゃらに過ごした最初の3年に比べてある程度周囲が見えてくるので、自分の「できなさ加減」を実感すること(それまではどこができていないかもわからず怒られていた)。6年の研修の折返しをしたということで残り時間の少なさに焦り始めること。そして、楽屋などでそれまで会ったことのない大勢の能楽師と顔を合わせることでの緊張……等々、人によって程度の差はあれ。4年目は皆一様にきつそうに過ごしていた記憶があります。。。。