〜21 竹林の中で〜
早朝の竹林は、ところどころに差し込む朝日に地面に積もった竹の葉が淡黄色に照らされて、遠くでなくうぐいすの声が聞こえ、竹やぶを飛んでいく雀の姿が見えます。
地面に空いた穴と散らばった竹皮は、夜のうちにイノシシがタケノコを掘って食べた跡。
竹林の中で目が慣れてくると、落ちた竹の葉の不自然な盛り上がりからタケノコの穂先が見えました。
それを見つけて朝ごはんの味噌汁のために、掘りたてのタケノコを持ち帰るのが私の仕事。
3月半ば、まだ小さめの何本目かのタケノコを掘って竹やぶの中で見上げた空は竹の葉に隠されてよく見えません。
東日本大震災の3日後、能楽研鑽会で初能「田村」を打ったあと翌日知らされたのは、能楽堂の稽古も舞台も今後1ヶ月はとりやめになるということでした。
おそらく、研鑽会まではまだ地震の直後で方針がはっきりしていなかったこと、無料の会だったということで実施がかなったのかと思います。
なにより、師匠を始め先生方が舞台をやらせてほしいと主張してくださったとか。
本当にありがたかったと思います。
能楽研鑽会の翌日、余震と計画停電による不安がうずまく東京をしばらく離れることを身内に提案されて、私は実家へと帰省しました。
帰省そうそう静岡でも地震があったものの、関東圏の混乱とは別世界ののんびりした田舎の時間がすぎ、冒頭で描いたとおり私のやることはタケノコを掘るくらい。
あの、怒涛の稽古の日々と舞台はなんだったのか。もしかして、この三年間のことは夢だった??
そう思えるくらいの時間の流れと自分をとりまく環境の激変にぼうぜんとしながら、
「もう一度、稽古や舞台ができる日々が戻ってくるのだろうか」
と自問自答していました。
これは、少し去年の状況と似ています。新型コロナウィルスによる緊急事態宣言ですべての劇場が閉まり、稽古場も使えなくなって同じように一定期間稽古も舞台もできませんでした。今回は疎開はしませんでしたがいまも、舞台をやることへの困難は続いています。
研修生時代の東日本大震災前後の体験で、悩みながらも続けてきた能楽が自分にとっていかに大切なものだったかをかみしめることになりました。
舞台や稽古の日々がいかに大切なものかということも。
そして今、再びそれを実感しています。