先月から日本に一時帰国されている方が今日のお稽古後、「これから能を観に能楽堂に行ってきます」と帰って行かれました。海外では中々本物の能の舞台に触れる機会が少ないとのこと、楽しんでご覧になれるといいなあ、とお見送りしました。
以下の話は時々お稽古でする話(知っている方は飛ばしてくださいね)
一昔前は小鼓のお稽古をするのは、謡や舞を長くされて舞台鑑賞歴も長くて‥という方が多かったそうです。
最近はほとんど舞台は見た事がないけれど、楽器に興味があって始める方も増えました。
そういう方はお稽古を始められてからお能を観に能楽堂に足を運ぶようになったそうです。
なぜなら、能楽は振り幅が大変大きいからです。
例えばリアルな合戦のシーン(切組み)があるものは、他の芸能にも負けない臨場感です。
一方、本三番目もの(鬘物)と呼ばれる王道の複式夢幻能はこの世ならぬ美しい人たちが舞を舞ったり謡ったり、昔を思い出してひたすら嘆いたりします。
要は、グチる亡霊です。
歴史上有名な人物であることもあります。今ではあまり知られていない人や、植物や、花であることも(!)
初めて観た能が、ものすごく長くて幽玄で、そして難しくて‥というと
「能はつまらないからもう観ない」
と言われてしまいます。
だからつい、知り合った人に能を観に行くなら何がおすすめか聞かれると、雑物(現在進行形で話が展開していく)や切能(鬼退治系)を勧めてしまいます。
できれば次も観に来てもらいたいので。
「いわゆる能らしくない曲を見て、それが能だと思って欲しくない」
という意見もあります。
能楽の根底に流れる思想は勧善懲悪ではないので鬼の首を落として意気揚々と帰る話はどちらかというとイレギュラー。
「祈りと幽玄の世界を体現した複式夢幻能こそが本来の能だ!」
とは学生時代のサークルの先輩の言葉。
それを学生時代真に受けて、全く意味がわからないまませっせと能楽堂に通っておりました。
因みに中学生の頃に初めて祖母と観た能は「花筐」。
上京後、自分で調べて渋谷の観世能楽堂に観に行ったのは「東方朔」
国立能楽堂に先輩に連れられて観たのは「雪」でした。
全てに共通するのは、鑑賞当時ほとんど内容が理解できなかったこと。
(さすがに今ではわかります)
「そこからどうして能楽師を目指したんですか」
と、時々聞かれます。
不思議な縁、ですね。