小鼓草子2020

小鼓方観世流能楽師岡本はる奈のブログです。舞台・ワークショップ・稽古場案内と日々の出来事など。横浜、相模大野、東京杉並区にて小鼓指導しております。フランス語版ブログhttps://notesdunkotsuzumi.blogspot.com/

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能楽研修生だった頃 ⑪

  

〜研修同期・先輩たち〜

 国立能楽堂の研修制度が始まったのは1984年だそうで、ちょうど私たち八期生が研修中に25周年を迎えました。

 20数年前の最初の頃に研修生であった先輩能楽師の方々は、すでに私たちの親に近いくらいの年齢、今の研修生からみたら私たちもすでに結構な年なのかも…研修制度がこうして続いていることを考えると、感慨深いものがあります。

 研修中は稽古を同期の研修生と一緒に受けるか、自分の流儀の稽古については師匠と一対一がほとんど。休憩中や発表会の時に能楽の先輩たちと触れ合う機会があります。

研修生も、先輩方も最初はお互い未知との遭遇といった感じで、まずは挨拶と自己紹介から…フランクに接してくれる方もいれば、未だに近寄りがたい方も。

 私の場合、流儀の兄弟子にあたる人は研修生出身ということもあり緊張せずに接することができました。また、狂言方ワキ方の同期にもそれぞれ流儀の兄弟子に研修修了生がいたようです。これは研修生を続けていく上ではとても心強いこと。

兄弟子・姉弟子が多い流儀では人間関係に気を使うこともあり、逆に少ない流儀では先生のお手伝いの仕事が多く…どちらが良いのかはわかりません。

 かつて、国立能楽堂の研修制度が始まったころは、昔ながらのやり方ではないため反発も多かったそうです。能楽師の多くは、親が能楽師だったため家業を継ぐ、あるいは弟子入りして書生として修行を積む、というパターンでした。

今でも圧倒的に多いのはそちらの方ですが、能楽師の家ではなくてプロを目指した人たちは数十年前よりは多岐に富んでいるようです。

 とにかく、私達が研修生として入った頃に研修出身者が一定数居たことは幸運でした。

自分がまだプロになれるかどうか、不安の最中にいる時にそうした先輩方の研修生時代の話を聞いて勇気づけられたり。先輩方の活躍する舞台を観て、自分もいつかそうなりたいと思ったり。

 そして、研修同期生。

ワキ方狂言方の同期の研修生とは普段から、すごく仲良くしているわけではなかったのですが(そもそも私は稽古が終わるとバイトしていたため、あまり時間がなかった)今でも楽屋で顔を合わせると嬉しいですし、あの稽古三昧の日々をお互い過ごして今があると思うと、「向こうも頑張っているから、自分も頑張ろう」という気持ちになります。

同期も、先輩方も、そして先生方でさえ舞台の上では、そして芸の上ではライバルです。でも、それ以上に仲間でもあると思います。

 仲間がいるというのは、良いものです。

 

妄想力と想像力。

 年始から、いや昨年から仕事においては緊急事態宣言にかなり振り回されています。

ともかく今できること、出来る稽古をやるしかありません。

先月から再開した、横浜能楽堂での午前中のお稽古は部屋の換気とソーシャルディスタンスに考慮して今月も継続中です。

不定期ですが月に2回、10時から12時まで行っておりますので、ご興味のある方はぜひ。4月の稽古日は今月後半までに決める予定です。

さて、私はいつも横浜能楽堂の稽古場を借りるときは事務所のある地下一階を通ってお邪魔するのですが、常々地下の入り口から階段付近を見て思っていたことがあります。

「ここ、なんだかラピュタっぽい」

無人島や昔の建物でよく言われるような、アレです。島でもなく、無人でもないのに地下に降りていく階段のあたりからなんだかいつも、ちょっと遺跡感を感じているのはなぜだろう。

余分な時間に妄想がどんどんたくましくなっているのかな。

以前、飯田橋のカフェから夜に見た総武線を指して「銀河鉄道999っぽい」と言ったところ現実主義者のきょうだいから、すかさず「いや、あれは千葉行きだよ」と否定されたことを思いだしました。

でも、舞台でも現実生活でも多少の想像力があったほうが楽しいと思うけど…と小声で言ってみる。

来週9日は国立能楽堂「青翔会」にて舞囃子「百萬」を打たせていただきます。

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差し込む光がラピュタ感。

 

六本木ストライプハウスギャラリーにて一調を打たせていただきます。

 今月19日(金)夕刻、「マリージョゼ・メドヴィエル展〜ドミニクと二ーヌ〜」展示内にて、一調「桜川」を打たせていただきます。

能「桜川」の曲の解説と皷の簡単なお話もいたします。

桜の開花も間近になりました、謡と皷の桜を耳でお楽しみください。

詳細は以下になります。

お時間のある方は、ぜひお越し下さいm(_ _)m

 

感染症対策に留意して行う予定です。ご協力をお願い申し上げます。

 

       〜能楽「桜川」の世界 in 六本木〜

日時:3月19日(金)17:45開始(一調の演奏は18時ころの予定です)

           18時15分頃終了予定

場所:六本木ストライプハウスギャラリー(地下鉄六本木駅3番出口より徒歩4分)

          3階 マリージョゼ・メドヴィエル展「ドミニクと二ーヌ」展示作品内にて

内容:能と小鼓の話、一調「桜川」

    謡 柏崎真由子(シテ方金春流) 

    小鼓 岡本はる奈(小鼓方観世流

   入場無料

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能楽研修生だった頃 ⑩

〜道具(楽器)について〜

 選考試験で自分の流儀が決まる前から、囃子方の場合はいずれは自分の楽器が必要であることを聞かされていました。

能楽師はそれぞれの役の専門職であり、プロで活動とするならば道具や着物も基本的には自前で用意です。研修生の場合は以前書いたように、紋付き袴や稽古用の着物等は貸してもらい、修了後にはそのままいただけるので、問題は道具。ワキ方狂言方の舞台装束は流儀の家元の先生が管理されていて舞台の際は借りるので、同期の他の研修生が必要なのは装束の下に着る胴着(白い綿入れみたいなもの)くらい。囃子方の場合は自分の楽器を手に入れなければなりません。お店ですぐ買ってすぐに鳴るような楽器でもない。

 私は研修1〜2年目は養成課にあった小鼓の筒と革中から合いそうなものを組み合わせて借りて使っていました。ちょうど、自分の先生が道具(小鼓)を集めていた時期でもあり(家元の先生たちは皆さんたくさんご自分の道具を持っています)自分には手が届かない高価な道具も含めていろいろな道具を見て、打ってみて、勉強することができました。

 そう、能の楽器、特に小鼓の場合は革同士の質や相性、筒との組み合わせ、あるいはその筒の性質によって出る音がまったく違う。

良い筒はどの革を組み合わせてもその良さを最大限に引き出すし、そこまででなくても組み合わせによって驚くほど良い音がでることもある。逆に、見た目はきれいなのに全然鳴らなかったり、ベニヤ板を叩いたほうがまだ音がでるんじゃないかと思うような革もあります。

 作ったばかりの革(新革)は良い音が出るまでに長い時間をかけて慣らしていかねば鳴らないので、もっぱら先生が道具屋さんで古い革を試しているのを横から見て、自分の革を探していました。

 同年代の他の流儀で私と同じようにプロを目指したという人の中には新しい皷を十年以上かけて良い音が出るように育てた人もいました。

 小鼓だけが大変かというと、そういうことはありません。大鼓は舞台前に火鉢で炙るために革の疲労が激しく、しょっちゅう新しい革を用意する必要があるとか。

和も洋も、楽器が決してお安くないのは、ご想像の通り。もしかしたら、こういう所も囃子方が少ない原因なのかな?

小鼓の革も寿命があり、また破れたりもするので一生同じものを使い続けることはできず。私も今は研修時代とは違う組み合わせの革を使っていますが、筒は自分で買ったものに加えてあの頃先生から譲って頂いた筒が、今でも舞台で活躍中です。

道具については書き出すとどんどんマニアックな方向に続いていくのでこの辺りで…。

 

 

 

 

 

明後日はひな祭り。雛人形を見ると、五人囃子の順番の確認をしてしまいます(^^)

今週のお題「雛祭り」

わたしにとっての2月。

カレンダーをみて、2月があと数日で終わることに気がつき愕然としています。

自分の中ではまだ1月はじめくらいの感じ。

なんだか、日にちの感覚がおかしくなっている?

能楽師にとって、というより私にとっての2月は閑散期。

確定申告の時期でもあり、着物整理をすることの多い月でもあり…。

そして、何よりも2月は大先生(故・観世豊純先生)とお別れした月です。

というわけで、先週は若先生と一緒にお墓参りに行ってきました。

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紅白の梅がきれいでした。

本当はすぐにでもブログを書こうと思っていたのですが、お墓参りの前後で立て続けに舞台の夢(上手くいかない)を観てなんだかダメージを受けたためトーンダウン。

来月は本物の舞台がいろいろあるので、正夢にならないように頑張ります(^^;)

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しだれ梅の中にはいってみました。

 

 

お題「#この1年の変化

能楽研修生だった頃⑨

〜初舞台〜

舞囃子は、能の一曲の一部分をおシテが装束なしで舞うので「能のデッサン」とも言われますし、「能のエッセンス」を味わうものと考えても良いかもしれません。

地味といえば地味、好きな方はとても好きだそうです。初めて能楽に触れる時は、装束付き(できれば解説も付き)の短めのお能1曲を観たほうが面白いかもしれません。

 私が初舞台で舞囃子を打った「桜川」は、川面に流れる桜の花びらを掬いながら子どもへの想いを詠うという、とてもきれいな曲でした。研鑽会が3月半ばだったのでちょうど季節としてもぴったり。川沿いの桜を見るといつもこの曲を思い出します。

 舞台に出させてもらうようになると、囃子方の研修生としてはまずは舞囃子を何曲か舞台で打って、やがて慣れてきたら能を一曲打たせてもらう…というのがお稽古の流れでした。

 研鑽会は入場無料の発表会とはいえ、国立能楽堂の本舞台で行われ、お客さんもたくさん入ります(現在は研鑽会に当たる舞台は「青翔会」と名付けられ有料公演です)。

 当日…毎日の稽古で慣れていたはずなのに、実際に舞台に上がると、照明の明るさ、檜の舞台の木肌の白さ、地謡の先生たちの声が実際よりも遠くで聞こえ、大鼓の先生の打つひとつひとつの粒が体に響いてきて…要するに、当日舞台上の私は想像を絶する緊張状態に陥りました。学生時代にサークル活動で能楽堂に立ったことはありますが、それとは全然別。

1週間前に申合せ(リハーサル)をしてもらって、たくさんお稽古もしたのに、舞台で皷を打っている間は貧血なのか、酸素が足りなかったのか、ずっと目の前にモヤがかかっていたのを覚えています。

能舞台の空気というものを初めて感じたのが研修時代の初舞台だったかもしれません。

今でも能舞台に上がると独特の空気を感じます。初舞台の時のような緊張はそうそうありませんが(それでも、お相手や状況によってはたま〜にある)。

 因みに舞台が終わってすぐに先生から注意をいただくのですが、いろいろ怒られた中で印象に残っていたのが

「緊張しているようには見えなかったぞ、なんでちゃんと打たないんだ」

と、真顔で言われたこと。

いえいえ自分史上最高に緊張していたのですが…とは、言えずじまいでした(^^)

 

 

#今週のお題「告白します」

能楽研修生だった頃⑧-2

適性試験終了から初舞台まで〜

 私達の研修よりもずっと以前、2〜3期前の先輩方の時には希望の楽器や役に複数人が集中するということは多かったそうです。例えば、笛をやりたい研修生が大勢いて、適性試験で希望の役に選ばれなかったら研修自体を辞めた人もいたとか。

ここ10数年の傾向を見ていると、応募者・研修生ともに減っているためそうした悩みはないのですが、それでもやはり試験というのは緊張するもので、八期の私しも他の皆も適性試験後にそれぞれの役・流儀が正式決定した時にはほっとしました。

 試験の後で変わったことと言えば、私の場合は小鼓の先生がより稽古で厳しくなったことと、楽屋働きとして楽屋に入ることができるようになったということでしょうか。

つまり、稽古がよりキツく、時間にもより追われるようになったという…。

 でも、これでようやく中途半端な状況から少し抜け出せたともいえます。なにしろ、「女子の研修生は正式に採るのかどうするのか」という議論が続いているような状況でしたので。

 さて、それぞれ自分の専門の稽古の他には謡や座学も相変わらず続き、目指すは研修開始後丸一年がたった翌年3月の研鑽会での初舞台となりました。

狂言の研修生では、大学時代にサークル活動で狂言舞台経験者もいましたが、それはノーカウント。プロを目指す上での舞台が初舞台として経歴に記載されています。

小鼓方研修生の私は舞囃子「桜川」でした。