小鼓草子2020

小鼓方観世流能楽師岡本はる奈のブログです。舞台・ワークショップ・稽古場案内と日々の出来事など。横浜、相模大野、東京杉並区にて小鼓指導しております。フランス語版ブログhttps://notesdunkotsuzumi.blogspot.com/

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はや秋にもなり候えば。

先月虫干しをしたと思ったらあっという間に秋の風が吹いて、暑さも少しは和らいだような気がいたします。秋は鼓が鳴りやすい季節(のはず)なので、嬉しい思いです。着物ももうあと1、2週間もすれば浴衣や薄物はしまう時期‥。9月があまり暑くないといいな。

みなさんは秋というと何を思い浮かべるでしょうか。
能の曲で秋というと、私が思い浮かべるのは「班女」です。今回はその私的解説を少し。

~班女~
四番目物(略三番目物)→現在能
美濃國野上の宿の遊女花子は、東国に下る途中立ち寄った吉田少将と契ってから、形見に交わした扇に眺め入って他の客に逢おうとしなかったため、遂に宿の長に追い出されてしまう。~中入り~
その秋、東国から戻った吉田少将は野上で花子を尋ねたが逢えなかったので、そのまま都に帰り、糺の賀茂の社に参詣すると狂女になった花子が来て神に祈願を捧げる。花子が形見の扇を持って狂おしく舞っているとその扇を見た少将はそれが自分の探していた女性だと気づき、2人は再会する。

謡曲「班女」は三島由紀夫の現代能楽集にも取りいれられていて、そこではもう少しひねった結末となっていますが、私はこの曲の詞章がとても美しいと思います。「班女の扇」は中国の故事で、寵愛を失って顧みられなくなった我が身を秋に捨てられる扇に例えたものですが、「扇=逢うぎ」とかけて、秋や扇といった言葉から膨らんで行くイメージが素晴らしいです。日本語の美しさ、能の謡の美しさをしみじみ感じる曲です。

能「班女」の詞章から一部抜粋

「形見の扇より、形見の扇より。なお裏、表あるものは人心なりけるぞや。扇とは虚言や逢はでぞ恋は添ふものを」

「折節たそかれに。ほのぼの見れば夕顔の。花を描きたる扇なり。この上は惟光に紙燭召して。ありつる扇。ご覧ぜよ互いに。それぞと知られ白雪の。扇のつまの形見こと妹背の仲の情けなれ」




(参考文献•観世流謡曲1番本「班女」)