朝方降っていた雨もあがり、夜空に月が綺麗です。
久しぶりに家で一人「江口」を謡ってみたり。
以下は以前に書いたもの。年の瀬に着物を着ていると祖母を思い出します。
「新年の着物」
私が小さい頃、新年の家族の着物の準備は祖母の仕事だった。
それはお節料理が出来上がって、板のようになって届いた大きなのし餅も切り終わり、そろそろ一年も終わるという夜。
ぼうっと光る電灯の下で祖母は沢山の着物を出してきてアイロンをかけ、半襟をきれいに付けてから、それぞれ明日履く足袋がきれいに洗ってあるかを確かめていた。
一月一日はいつも寒かった。朝早くから祖母に連れられて二階に上がり、白い息を吐きながら足袋を履く。のろのろとパジャマを脱いで腰巻姿で震えていると、薄い肌襦袢についで柔らかな長襦袢を身体にかけてくれた。色鮮やかな晴れ着と帯は重く苦しく、力いっぱい帯締めを締められたところでいつもよろめいた。
帯揚げや小物を選ぶ祖母が桐の箪笥を開け閉めするたびにお香がツンと鼻をつく。その匂いは祖母の着物の袖からも漂ってきて、ムズムズした気持ちになりながら髪にリボンをつけてもらった。
元日はだれでも仕事を休む日ということで、我が家ではお寺への挨拶と神社に行く以外は買い物もしなかった。縁起が悪いからとハサミを使うことも禁じられていたから、作りかけの小さな晴れ着をお人形に着せながらぼんやりと庭を眺め、早く重い着物を脱いで走りまわりたいな、といつも考えていた。
食事の時にはタオルで首の周りをぐるぐると巻かれるし、庭の柿の木や裏のヤマモモの木に登ることもできないし、私はひどく不機嫌だった。実家に残っている数枚の写真には、仏頂面の晴れ着姿の少女が写っている。
大人になって着物のアイロンかけや半襟つけに、不器用な私はあの時の祖母の何倍もの時間をかけてしまう。
年の暮れに着物の整理をし、引き出しから薫衣香が香ってきた時に不意に二階の寒い朝を思い出した。
最後に家で過ごしたお正月、一人で着物を着た私を見て痴呆が進んだ祖母は顔を輝かせ、はずんだ声で言った。
「少し地味じゃあないかね」
着物もお香の香りも今は大好きだよ、と伝えたい時に祖母はいない。